自分だけではどうにもできないことがあるからこその学び。

ジニー社長がインディアナ州の小さな田舎町に居た頃のお話を聞いたことがあります。この小さな町では白人社会で、アジア人はジニー先代社長お一人でした。

 

当時のご主人と結婚されていたジニー社長は主婦業だけではエネルギーがあり余り、小さな洋裁のお店で働き始めました。ジニー社長の普通ではないのが伝わるのですが、普通の洋裁では効率が悪いと気が付き、日本から編み機を輸入して、インディアナ州の白人女性達を囲んで教えだしたのです。

 

その時代に日本からインディアナに編み機を輸入したと聞いて驚いていると、ジニー社長は、ニコニコと嬉しそうに「そうよシャーシャーと左右に動かして使うのを教えてあげたら皆びっくりしていたわ。当時の小さな田舎のインディアナでは珍しがられたわね」と誇らしげに話してくださいました。そしてその瞬間、急に悲しい表情に変わりました。

 

「その洋裁店のマネージャーの、ミセス・マカーレットという女性がいてね。朝、グッドモーニング!ミセス・マカーレット!って元気に挨拶すると、無視するのよ。毎日毎日、知らんぷりされて辛かったわ。そして当時の主人に泣きながら相談すると、『ではそのミセス・マカーレットがいつ返事をしてくれるか、根比べしてみたらどうなんだい』というものだから、私はさっと泣き止んでね。素直にそうしようと思ってね、毎日毎日、私のひとり相撲が続いたのよ。絶対に返事してもらうまで、私は元気に挨拶し続けたわ!」と話すジニー社長のこの根性と継続力は本当に凄いです。

 

そして遂に数日経ってミセス・マカーレットが、「グッドモーニング!ジニー!」と返事をくれたそうです。ジニー社長は飛び上がるくらい嬉しかったようで、勇み足でご主人のところへ駆けつけ、その喜びを報告したそうです。「本当によくやったね!」と、とても褒めてくれたそうです。何かに勝ったような気分で、そしてご主人様にも褒められて、本当に嬉しかったそうです。

 

 

話には続きがあり、ミセス・マカーレットがずっと無視していた理由がその後わかったそうです。実は彼女のお兄さんはパールハーバーで戦死していました。そのため、敵の日本、兄を殺した日本人をずっと憎んでいたし、口をききたくなかった、と言われたそうです。「その時のショックは言葉にならず、日本人である私には何も言い返すことができなかったのよ。彼女の辛い気持ちが良くわかったから。私は何にも悪くないのに、悔しかった。でも、自分ではどうしようもできないこともあるとわかったのよ…」と、ジニー社長は悲しい表情で私に教えてくれました。

 

戦後日本からアメリカに渡った人たちには、少なくともこのジニー社長のような経験をされた人がいたに違いないと思います。人種や出身国、そして歴史も変えることはできません。他人は変えられないし、人の心の奥の傷まで知ることはそう簡単にはわかりません。個人の力ではどうしてもできないことがあるということを実体験で教えていただきました。

 

「だからこそてるよさん、自分のできることを一生懸命やるのよ、できないことは、頑張っても無理なんだから」ジニー社長の言葉はとても深く、重く響きました。

 

これから外国で生活する私に、自分の経験した同じ辛い悲しい思いをさせたく無い、という深い愛情の優しさからで涙がでました。

 

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