メリーモナークフェスティバルと不動産のクム

先週末、フラの最高峰メリーモナーク・フラ・フェスティバルの応援で、ハワイ島ヒロへ行ってきました。私の所属するハラウ(教室)のカネ(男性)が出場したのです。

 

フラダンサーなら皆が憧れるメリーモナーク。日本からも沢山のフラファンが、フラを通して、ハワイの歴史と文化を感じに来ます。ヒロはとても小さな、また素朴な町ですが、このメリーモナークの時は、町中がフラ一色で華やかになります。

 

ジニー社長は事あるごとに私に、「私は社交ダンスだったけど、貴女はフラよ。どんなに大変でも、仕事が忙しくなっても絶対に辞めちゃだめよ!」と言っていました。ジニー社長は、社交ダンス競技での全米のチャンピオンでした。その思いを私に重ねてくれていたのか、ジニー社長は私のフラを心から応援してくれていました。ホノルルで開催するコンペ大会には、パイナップルを冷たく冷やして一口サイズにカットした差し入れと共に、必ず応援に来てくれました。素敵なムームードレスでジニー社長はとても華やかで綺麗でした。そんなジニー社長が心から私のフラを応援してくれたお陰で、私はフラを辞めずに長く続けて来れました。

 

フラは、私がハワイに初めて来た2010年から始めました。かれこれ私のフラ歴も14年になります。しかも、一人のクム(先生)にずっとついています。この一人のクムに従事することがいかに大切なのか学びました。フラにはルールがなく、つまりクムが絶対的で、そのクムのスタイルを身に付けるのが、私たちフラを習うハウマナ(生徒)の役目です。

 

そのため安易にハラウやクムを変えるのは、タブーと言われる世界です。自分の都合でハラウを転々と変える人は「ハラウ・ ホッパー」と呼ばれます。もし、やむえをない事情でハラウと移籍する場合は、前のクムから、次のクムへの承認必要なのが礼儀です。それだけ、しきたりの厳しい伝統芸能なのです。

 

実は不動産の世界でも同じです。不動産エージェントも、より良いコミッションの割合を求めて、ブローカー・不動産会社を転々と変える人がいます。これは、「コミッション・ホッパー」と呼ばれ、不動産業界でもタブーで、そんなエージェントにはレッテルが張られ、「コミッション泥棒」と呼ばれます。

 

通常、売買専門の不動産エージェントはコミッションベースですから、$1でも割のよい、ブローカー・不動産会社に移りたくなるのです。あくまで自分の懐の為に。ジニー社長は、「この業界で、そんなエージェントになったら3年もたないから、絶対ダメよ」と教えてくれました。ちなみに、会社を移籍するときは、前のブローカーと次のブローカーの両者が、フォームにきちんとサインをしなくてなりません。

 

 

私が2010年に初めてハワイに来て、私の不動産歴もフォガティ不動産一筋で14年目になりました。ジニー社長を「私の不動産のクム」と呼ぶと、とても喜んでくれました。何と言っても私のオンリーワンです。私の不動産の知識はすべてジニー社長だけから学んだものです。ただ、経験や実績に関してはジニー社長は、いつも優しい笑顔で「You’ve earned it! あなたが勝ち取ったのよ」と仰ってくださっていました。

そんな機会を与えてくださったジニー社長に、心から感謝し、一生私の師匠・不動産のクムとして尊敬の念は、一生消えることがありません。
フラも不動産も師匠について謙虚に学ぶ姿勢がいかに大切なのかを日々感じています。

 

最後に、こちらのストーリーをシェアしたいと思います。
2022年フラの大会が11月5日にカリフォルニアでありました。イア・オエ・エカラという由緒あるフラの大会です。毎年クムのお陰で出場させていただいていましたが、8月の締め切りに、「私はジニー社長が心配なので今回は断念します」とクムにお断りをしました。フラの大会を断ったのはこれが初めてでした。いただいたチャンスは感謝しながら無駄にしてはいけないと思い、出場し続けてきましたが、その年はジニー社長の容態も心配だったので、フラよりジニー社長を選びました。

 

ですが、そのことはジニー社長には内緒にしていました。しかし9月、ハラウのファンドレイズ(大会に向けての資金集め)でスパゲティプレートを配る行事がありました。毎年私もヘルプをしていて、ジニー社長の好きだったスパゲティでした。ある日、お届けに行ったら、「このスパゲティ私大好きよ。ありがとう。このスパゲティがあるってことは、てるよ、あなたのフラの大会が近いのね・・・」と言うのです。10年以上も私の傍でフラの活動を見てきてくれたジニー社長はすぐに気づきました。そして、「あなた、行くのよね」と仰るので、「今回はやめておこうと思います・・・」と伝えると「行きなさい!」という強い言葉が私の心を打ちました。

 

ジニー社長の為とはどうしても言えなかったのですが、きっと感じ取っていたのだと思います。そのため、この一言をとても厳しく、重く受け止めました。この言葉が、ジニー社長から私への最期の命令の言葉だったかもしれません。

 

数日ずーっと考えた後、クムにやはりカリフォルニアの大会に出ることを伝えました。快くOKしてくださいましたが、それからのレッスンは、他のダンサーとの遅れもあったので、ものすごく大変でした。

2022年9月22日、ジニー社長が自宅で転倒しました。頭蓋骨骨折で余命30日と言われました。ショックでショックで涙が止まらず、それでも、ジニー社長の回復のミラクルを信じて、日々仕事と、ジニー社長のお見舞いと、フラのレッスンとで忙しくしていました。

 

2022年10月27日 ジニー社長は一人静かに息を引取りました。ミラクルなんてないと絶望的な気分で、涙も止まらない中、その夜はフラのレッスンでした。マヌオオーというハワイの鳥の曲です。鳥の羽ばたくモーションでは、ジニー社長は天国へ羽ばたいていってしまった、という悲しい気持ちと重なってしまい、抑えきれず涙が出てしまいました。

 

すると、大声でクムから「テリー!!スマイル!!!」と怒鳴り声が飛んできました。こんな辛い日に、なぜそんなことを言うのだろう!と思いましたが、こんな気持ちでフラを踊っていたら、ジニー社長も悲しむと、じっと堪え、涙を拭い、笑顔でレッスンに戻りました。ここ最近で一番辛かった経験かもしれません。

 

しかし、それはフラも、不動産もプロになりなさい、自分の感情は上手にコントロールしなさい、強くなりなさい、という、フラと不動産の二人のクムからの教えでした。

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